受付番号を渡されて、もう三十分も待っている。 僕のほかには、女の子が一人。 彼女は鏡を覗き込みながら、パフで頬をぽんぽんと叩き、それからスマートフォンで誰かにメールをしている。 「受付番号、何番?」 突然、彼女が訊いた。 「四十八番」 「へえ」 「君は?」 「四十九番」 彼女は番号札をひらひらさせた。 「じゃあ、私のほうが一つ後ね」 「そうみたいだね」 僕は何気なく答えた。 けれど、そのとき、妙なことに気がついた。 この会館には、時計がない。 それなのに、なぜ僕は「三十分も待っている」と思ったのだろう。 そもそも、僕はなぜここへ来たのだろう。 考えようとすると、頭の奥がぼんやりする。 受付でもらった番号札を見る。 四十八。 裏返してみる。 何も書いていない。 「その番号、気になる?」 女の子が言った。 「うん。なんとなく」 「私のも見てみる?」 彼女が四十九番の札を差し出した。 表には、やっぱり四十九としか書かれていない。 ところが、彼女が札を指で撫でると、数字の下に細い文字が浮かび上がった。 ――あなたが、誰かを幸せにした回数。 「え?」 僕が目を疑っているうちに、文字は消えた。 「今、何て書いてあった?」 「さあ?」 彼女は知らないふりをして、また頬をパフで叩いた。 そのときだった。 廊下の向こうから、白いコック帽をかぶった青年が、息を切らして走ってきた。 「遅れてしまう!」 今晩は魔法会館のレセプション。 立食なので、料理を作るだけでなく、その会場づくりまでこなさなくてはならない。 もちろん、彼も承知していた。 承知していたのだが、人は「知っていること」を、いつも「覚えている」とは限らない。 「僕はもう行かなくちゃ」 青年はそう言って走り去った。 すると、受付の奥から鐘が鳴った。 「特別公開ゼミが始まります」 受付嬢が告げる。 「参加される方は、速くお並びください。閉め切られてしまいます」 女の子が立ち上がった。 「行かなきゃ」 「どんなゼミなの?」 僕も後を追いながら訊いた。 彼女は振り返って笑った。 「どんなゼミかって?」 そして、少しだけ間を置いた。 「幸せになるゼミ」 「……本当?」 「本当だよ(^_-)-☆」 僕たちは長い廊下を走った。 けれど、途中で僕は足を止めた。 受付番号のことが、どうしても気になったからだ。 「待って!」 受付へ戻る。 「四十八番って、何の番号なんですか?」 受付嬢は、初めて僕の顔を真正面から見た。 「ご自分で考えてみてください」 「順番じゃないんですか?」 「いいえ」 「じゃあ、何?」 受付嬢は微笑んだ。 「あなたが、ここへ来るまでに受け取った幸せの数です」 「……受け取った?」 「はい」 「僕が誰かに幸せを与えた数じゃなくて?」 「違います」 彼女は首を振った。 「あなたが気づいた幸せの数です」 僕は黙った。 四十八。 思い出そうとする。 母が作ってくれた朝食。 友達から届いた、何気ないメール。 雨の日、知らない人が差してくれた傘。 仕事で失敗したとき、何も言わず隣にいてくれた人。 コンビニの店員が「ありがとうございました」と笑ってくれたこと。 夕暮れの空。 子どもの頃に食べたアイスクリーム。 ……。 ひとつ。 またひとつ。 記憶の中から、忘れていた小さな幸せが浮かんでくる。 四十八。 僕はようやく気づいた。 この番号は、僕が「幸せだった回数」ではない。 幸せだったのに、それを幸せだと気づけた回数なのだ。 「じゃあ、四十九番は……」 僕が呟くと、受付嬢が答えた。 「彼女には、あなたより一つ多く、幸せに気づいた瞬間があるのでしょう」 僕は待合室を見る。 女の子はもういない。 ただ、椅子の上に四十九番の札だけが残されている。 その札の裏には、今度ははっきりと文字が浮かんでいた。 ――あなたが次に気づく幸せは、誰かと分け合うことで増えていきます。 その瞬間、廊下の奥から女の子の声がした。 「早く!」 僕は笑った。 そして、四十八番の札をポケットにしまった。 特別公開ゼミの扉が閉まりかけている。 僕は走った。 間に合うかどうかは、もうどうでもよかった。 なぜなら、僕はそのとき初めて知ったからだ。 幸せになるというのは、 幸せを手に入れることではない。 すでに手の中にあったものに、気づくことなのだ。 そして魔法会館の受付とは、 人が幸せになる順番を待つ場所ではない。 自分の人生の中に、いくつ幸せがあったのかを思い出す場所だった。 僕の受付番号は、四十八番。 けれど、扉の向こうで待っている幸せには―― きっと、まだ番号がついていない。