愛の形プロムナード
池袋駅のメトロポリタン連絡通路で、鳥五目のおにぎりをほおばる怪しげな男女がいた。
僕らのことだ。
東武デパートの地下で食料を調達し、なぜか人ごみの真ん中で立ち食いをしている。周囲の人々は、僕らをちらりと見て通り過ぎていく。グルメウォーカーたちは、どうやら恋の惑星には興味がないらしい。彼らにとって、食べ歩きは食べ歩き。愛の形など、ショーケースの向こうに並んでいるケーキほどにも気にならないのだろう。
「ゴメン、ゴメン。遅くなっちゃった!」
貴女は、例によって二十分遅れで現れた。
「走ったらお腹減ったぁ」
そう言って、僕の手からおにぎりをひったくる。
ディナーの予約は入れてある。けれど、食事には少し早い。だからといって、空腹のまま待つことなど、貴女にはできない。デパ地下に駆け込んで、あれこれと食料を買い込み、あげくの果てに人ごみの中で立ち食いだ。
二十年前もそうだった。
待ち合わせには遅れてくる。謝るくせに、悪びれた様子もない。お腹が空いたと言っては、僕を連れ回す。僕が呆れた顔をすると、貴女は決まって、そんな僕を面白そうに眺めた。
何ひとつ変わっていない。
いや、変わったこともある。僕らの髪には白いものが混じり、あの頃なら何でもなかった階段が、いまでは少しばかり億劫になった。街も変わった。店も、人の流れも、駅の景色も。
それなのに、貴女が鳥五目のおにぎりを頬張る姿を見ていると、僕の中では、二十年という時間が音もなくほどけていった。
「なあ、覚えているかい。昔もこうして、駅で何か食べたよね」
「ええ? そうだった?」
貴女はおにぎりを飲み込んで、首を傾げた。
「あなたって、妙なことばかり覚えているのね」
そう言って笑う。
僕は、その笑顔を知っている。
知っているというより、ずっと待っていたのかもしれない。どこか遠い街角で、あるいは改札の向こうで、もう一度この笑顔に出会うことを。
恋多き人々が住んでいる星がある。
恋をして、すれ違い、嫉妬して、仲直りして、また恋をする。そんなことばかり繰り返しているから、住人たちはいつも忙しい。恋の惑星という名前にふさわしい、じつに厄介な星なのだ。
その星が、ちょうど今頃、東の空に現れてくる。
誰かがそう教えてくれた。
僕らは通路の窓から空を見上げようとしたが、そこには駅ビルの壁と、広告の光しかなかった。東の空は見えない。それでも、僕にはわかる気がした。あの星は、もう僕らの頭上に昇っているのだ。
愛の形には、いろいろある。
若い恋人たちが手をつなぐ形。別れた二人が、遠くから相手の幸福を祈る形。長い歳月をともにした夫婦が、言葉もなくお茶を差し出す形。
そして、二十分遅れてきた女性が、謝りながらおにぎりを頬張り、隣にいる男の呆れ顔を見て笑う形。
どれが正しくて、どれが美しいということでもない。
ただ、僕らはその形を探して、ずいぶん長いプロムナードを歩いてきたのだ。
「ねえ、そろそろ行かない? 予約の時間になっちゃう」
貴女は空になった包装紙を丸め、僕の袖を引いた。
「まったく、君という人は……」
そう言いかけて、僕は言葉を止めた。
あの時のままだ。
呆れながら、うれしくて、少しだけ困っていて。笑いたいのに、なぜだか胸の奥が熱くなる。
僕は、何だか泣き笑いしていた。
貴女は不思議そうに僕を見つめたあと、そっと腕を組んできた。
「どうしたの?」
「いや。なんでもない」
「変な人」
貴女はそう言って、また笑った。
人ごみの向こうで、改札の音が鳴った。
恋の惑星は、今夜も東の空に昇っていく。そこではきっと、誰かが恋を始め、誰かが恋を終え、誰かが二十年ぶりに、懐かしい人の手を握っている。
僕らは、予約したレストランへ向かって歩き出した。
東武デパートの地下から始まった、少々風変わりな愛の散歩。
その先に何が待っているのか、僕にはわからない。
ただ、貴女が隣にいて、ときどき僕の腕を引っ張る。
それだけで、今夜の世界は、昔と同じように輝いていた。
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