おまじない
物語には、始まりの言葉がある。
「むかしむかし」と言えば、遠い昔の扉が開く。
「あるところに」と言えば、まだ誰も知らない場所が現れる。
でも、大人になった僕たちには、そんな言葉を使う機会が少なくなった。
だから、ひとつだけ自分のおまじないを持っておく。
朝、窓を開けて、
「今日も、何かいいことがありますように」
と呟いてみる。
それだけでいい。
駅までの道で、昔の友人に似た人を見かけるかもしれない。
喫茶店で、ずっと探していた本に出会うかもしれない。
知らない人から、優しい笑顔をもらうかもしれない。
あるいは、何も起こらない一日かもしれない。
でも、そんな日にも物語はちゃんと始まっている。
大切なのは、魔法を信じることではなく、
「もしかしたら今日は、何かが始まるかもしれない」
と思って歩き出すこと。
その気持ちが、きっとおまじないなのだ。
さあ、今日というページを開こう。
あなたの大事な物語は、
もう始まっているのだから。
星のない座標
Posted on November 22th, 2007 by Guest
夜の遊園地には、地図にない場所がある。 そこへ行くには、観覧車の三番目のゴンドラに乗り、いちばん高いところで目を閉じなければならない。目を閉じたまま、まだ見たことのない星を三つ思い浮かべる。すると、ゴンドラは地上に戻らず、銀河の裏側へ滑っていく。 二人はその場所にいた。 男はポケットから古い切符を取り出した。女はその切符の裏に、小さな数式を書いた。 「この遊園地には、出口が二つあるの。一つは入ってきた場所。もう一つは、まだ誰も入ったことのない場所」 「どちらが本当の出口なんだろう」 「それを決めるのが、あなたの仕事よ」 男は切符を裏返した。 そこには、三つの星と、一つの空白があった。 星を線で結ぶと、三角形ができる。三角形の中心には、何もない。けれど、何もない場所を通って、星から星へ線を引くことはできなかった。 「空白は、欠けているのかな」 「それとも、まだ来ていないもの?」 女は観覧車を見上げた。 その頂上に、白いゴンドラが止まっていた。乗客はいない。窓の向こうには、地上の遊園地が小さく見える。まるで、誰かが宇宙を手のひらに載せて、静かに眺めているようだった。 「ねえ」と女が言った。「もし、私たちが星を見ているのではなく、星のほうが私たちを見ているのだとしたら?」 男は答えようとした。 しかし、そのとき、遊園地の時計が逆に動き始めた。 二人の影が、少しずつ薄くなった。 男は切符を握りしめた。そこに書かれた数式は、いつのまにか消えていた。 残ったのは、三つの星と、一つの空白。 空白のところに、女の名前が書かれていた。 男はそれを読まなかった。 読んでしまえば、星のない座標が、ただの場所になってしまうから。