銀粉が舞う
夜の窓辺に、蛾が一匹やってきた。
別段、醜くはない。
蝶々のように華やかではないけれど、
淡い灰色の羽には、
細かな銀粉が散りばめられていた。
灯りのそばを、
ゆっくりと飛んでいる。
羽ばたくたび、
銀粉がほんの少し舞った。
私は窓を開けた。
「こんばんは」
蛾は逃げなかった。
むしろ私の肩に止まり、
しばらく黙っていた。
その姿を見ていると、
なぜだか昔のことを思い出した。
夜の公園。
古いベンチ。
誰かと並んで見上げた月。
あの頃は、
何もかもが美しく見えた。
けれど人生には、
華やかなものばかりではなく、
人知れず夜を飛ぶものもいる。
誰にも拍手されず、
誰にも名前を呼ばれず、
ただ、小さな灯りを頼りに、
静かに生きている。
私は蛾の羽を見つめた。
そこには、
蝶々にはない美しさがあった。
少し傷ついていて、
少し色褪せていて、
それでも銀粉は、
ちゃんと光っていた。
蛾が飛び立つ。
部屋の中に、
銀色の粉がふわりと残った。
私はそれを見ながら思った。
人もきっと同じなのだ。
若い頃のように輝いていなくてもいい。
誰かの物語の主役でなくてもいい。
夜の片隅で、
小さな灯りを見つけて飛んでいればいい。
蛾は月明かりの中へ消えていった。
私は窓を閉めずに、
しばらくその夜を眺めていた。
銀粉が一粒、
机の上に落ちている。
私は指先でそれを拾った。
そして、小さく笑った。
「君も、なかなか綺麗だったよ」
夜は何も答えない。
けれど遠くで、
小さな羽音がした。
まるで、
「知ってるよ」
とでも言うように。
さて、サーカスが始まるよ
Posted on November 22th, 2007 by Guest
「さて、サーカスが始まるよ」 君はそう言って、夜空を指さした。 そこには大きなテントがあった。いつからそこにあったのか、誰も知らない。星と星のあいだに、薄紫色の屋根が広がり、金色の旗が風もないのに揺れていた。 僕らは切符を買った。銀河鉄道の古い車掌が、切符の裏に小さな星をひとつ描いてくれた。 テントの中では、重力を忘れた象が空中を歩き、月の輪をくぐるライオンが、遠い惑星の夢を吠えていた。空中ブランコの少女は、手を離すたびに別の星へ飛んでいく。観客たちは息をのみ、そして笑った。 君は僕の手を握った。 「ねえ、あの人たちは、どこへ帰るのかしら」 僕は答えなかった。 最後の演目は、星のない夜を渡るピエロだった。彼は小さな椅子をひとつ持ち、誰もいない舞台に座った。そして、見えない誰かに向かって、深々とお辞儀をした。 拍手が起こった。 そのとき僕は気づいた。サーカスとは、宇宙が僕らに見せてくれる、ほんの短い奇跡なのだ。 テントを出ると、銀河はいつものように広がっていた。 君は切符の裏の星を見つめて、微笑んだ。 「また来ようね」 僕らは歩き出した。どこか遠くで、次のサーカスの開幕を告げるトランペットが鳴っていた。