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残されたスニーカー

駅の裏手に、小さな公園がある。

夕方になると、ベンチのそばにいつもスニーカーが一足置かれていた。

白いスニーカーだった。

少し汚れていて、踵のところが擦り減っている。
それでも、誰かが大切に履いていたことだけは、なぜかわかった。

私は、その前を通るたびに思った。

――今日は、取りに来るだろうか。

けれど、何日経ってもスニーカーはそこにあった。

ある雨の日、私はとうとうベンチに腰を下ろした。

スニーカーは雨に濡れながら、まるで主人を待っているようだった。

「待ってるんですか」

思わず、そんなことを言ってしまった。

もちろん返事はない。

ただ、公園の向こうを電車が走り、
その音が遠ざかっていった。

そのとき、ふと気づいた。

靴というものは、不思議だ。

誰かと一緒に歩いた場所を、
その人がいなくなったあとも覚えている。

駅までの道。
川沿いの遊歩道。
夏の夕暮れ。
コンビニの明かり。
そして、たぶん誰かの隣。

私はスニーカーを見つめた。

もしかすると、これは「忘れ物」ではないのかもしれない。

最後に歩いた場所へ、
最後に履いていた靴だけを残していったのだ。

そんな気がした。

翌朝、公園へ行くと、
スニーカーはもうなかった。

誰かが持っていったのだろう。

けれど、ベンチの下には小さな水たまりが残っていた。

私はそこに映る空を見上げた。

薄い青空だった。

そして、なぜだろう。

誰かがまた歩き始めたような気がした。

ミラノピッコロ座の話

Posted on November 22th, 2007 by Guest

あのピエロは、舞台の隅に立っていた。 ミラノの小さな劇場。赤い帽子に白い顔、少し大きすぎる靴。彼は笑っているのか、泣いているのか、客席からはよくわからなかった。 舞台の上では、恋がすれ違い、嘘が本当になり、貧しい人々がほんのひととき、世界の主人公になる。ピエロはその騒ぎのなかを歩いていた。誰かの落とした手紙を拾い、誰かの失くした夢をポケットにしまい、何も知らないふりをして、すべてを知っているようにお辞儀をした。 僕は君と並んで座っていた。 「ねえ、あの人は、どうしてあんなに悲しそうなの?」 君の声は、舞台の明かりよりも小さかった。 僕は答えられなかった。喜劇のなかにいる人間は、悲劇のなかにいる人間より、ずっと遠くの星を見ていることがある。笑い声が劇場の天井にぶつかり、銀河のように散らばっていく。ピエロはその星をひとつずつ拾い集めて、最後に胸の前で両手を広げた。 幕が下りた。 外へ出ると、ミラノの街は静かだった。石畳の向こうに、古い街灯がひとつ。君はまだ、舞台のピエロのことを考えているようだった。 「いつか、あの人に会えるかしら」 僕らは歩いた。劇場の扉の向こうでは、まだ誰かが笑っている。 その笑い声は、ずっと昔から宇宙を旅してきた光のように、夜の街に残っていた。

© Mahou.Tk 2010