美しき詩人たち
パリの夕暮れだった。
セーヌのほとりを歩いていると、古いカフェの窓際に、見覚えのある横顔があった。
アポリネールだった。
第一次世界大戦から戻ったばかりの彼は、頭に包帯を巻いていた。
その向かいには、まだ若いピカソが座っている。
二人は煙草をくゆらせながら、何かについて話していた。
私はその光景を見て、
「詩人と画家は、ずいぶん静かに世界を変えるものだ」
と思った。
すると、カフェの扉が開いた。
入ってきたのは、
長い黒髪の女性だった。
彼女は席につくと、一枚の紙を取り出した。
アナイス・ニンだった。
……いや、違う。
これは夢なのだ。
そう思った瞬間、店の奥から声がした。
「詩は、人生より美しくなければならないのかしら?」
振り向くと、
シルヴィア・プラスが窓辺に立っていた。
その隣には、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。
彼は笑っていた。
「いいえ。人生が美しくないからこそ、詩を書くのでしょう」
その言葉を聞いて、
私はしばらく黙っていた。
やがて店の片隅で、
誰かがピアノを弾き始めた。
ランボーが立ち上がった。
「僕はもう行くよ」
「どこへ?」
アポリネールが尋ねる。
ランボーは答えなかった。
彼は詩を書くことをやめ、
アフリカへ旅立った人だった。
詩人たちは、
必ずしも詩を書き続けるわけではない。
愛し、
傷つき、
旅をし、
戦争に巻き込まれ、
誰かを失い、
そして時には、
詩そのものから遠ざかっていく。
それでも彼らの言葉は残った。
私は窓の外を見た。
パリの夜が始まっていた。
ふと気づくと、
カフェにはもう誰もいなかった。
テーブルの上に、一枚の紙だけが残されていた。
そこには、
「美しいものは、永遠ではない。
だから美しい。」
と書かれていた。
誰の言葉だったのだろう。
私は紙をポケットにしまった。
そして夜のセーヌを歩いた。
遠い昔、
ここを歩いた詩人たちの靴音が、
まだ石畳のどこかに残っているような気がした。
美しき詩人たち。
彼らはもういない。
けれど、
彼らが見つめた月は、
今夜も同じように川面に浮かんでいる。
星のない座標
Posted on November 22th, 2007 by Guest
夜の遊園地には、地図にない場所がある。 そこへ行くには、観覧車の三番目のゴンドラに乗り、いちばん高いところで目を閉じなければならない。目を閉じたまま、まだ見たことのない星を三つ思い浮かべる。すると、ゴンドラは地上に戻らず、銀河の裏側へ滑っていく。 二人はその場所にいた。 男はポケットから古い切符を取り出した。女はその切符の裏に、小さな数式を書いた。 「この遊園地には、出口が二つあるの。一つは入ってきた場所。もう一つは、まだ誰も入ったことのない場所」 「どちらが本当の出口なんだろう」 「それを決めるのが、あなたの仕事よ」 男は切符を裏返した。 そこには、三つの星と、一つの空白があった。 星を線で結ぶと、三角形ができる。三角形の中心には、何もない。けれど、何もない場所を通って、星から星へ線を引くことはできなかった。 「空白は、欠けているのかな」 「それとも、まだ来ていないもの?」 女は観覧車を見上げた。 その頂上に、白いゴンドラが止まっていた。乗客はいない。窓の向こうには、地上の遊園地が小さく見える。まるで、誰かが宇宙を手のひらに載せて、静かに眺めているようだった。 「ねえ」と女が言った。「もし、私たちが星を見ているのではなく、星のほうが私たちを見ているのだとしたら?」 男は答えようとした。 しかし、そのとき、遊園地の時計が逆に動き始めた。 二人の影が、少しずつ薄くなった。 男は切符を握りしめた。そこに書かれた数式は、いつのまにか消えていた。 残ったのは、三つの星と、一つの空白。 空白のところに、女の名前が書かれていた。 男はそれを読まなかった。 読んでしまえば、星のない座標が、ただの場所になってしまうから。