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ソーダ水の香り

ソーダ水の香りがした。

そんなものに香りがあるのかと、昔の私は笑った。

けれど、今ならわかる。

あれは、夏の香りだった。

駅前の小さな喫茶店。
窓際の席。
緑色のソーダ水と、汗ばんだグラス。

向かい側には、君がいた。

何を話したのかは、もう覚えていない。

ただ、君が笑ったとき、
ストローの先に小さな泡がひとつ浮かんだ。

それだけを、なぜか覚えている。

あれから何十年も経った。

店はもうない。

駅前の景色も変わった。

君がどこにいるのかも知らない。

それでも、ときどき夏の午後に、
街角でソーダ水の香りがする。

そんなとき私は、
ほんの少しだけ立ち止まる。

そして、あの日の君に会いに行く。

ほんの数秒だけ。

「まだ、そこにいる?」

もちろん返事はない。

けれど、どこからか小さな泡の弾ける音がする。

シュワッ、と。

私は微笑む。

青春というものは、
過ぎ去った時間ではなく、

時々こうして、
香りになって戻ってくるものなのかもしれない。

舞台の上から、君が見えた

Posted on November 22th, 2007 by Guest

舞台の上には、古い月がひとつ吊るされていた。

僕は台詞を忘れた役者のように、暗い客席を見渡していた。芝居は終わりに近づいている。誰もいないはずの客席の片隅に、君が座っていた。

君は拍手もせず、ただ微笑んでいた。

その瞬間、舞台の床が銀河の地図に変わった。遠い星々が小さな灯りとなって、僕の足元を照らしている。あの夏の海辺も、神楽坂の路地も、ふたりで歩いた見知らぬ町も、みんな星座になって浮かんでいた。

僕は台詞の代わりに、君の名前を呼ぼうとした。

けれど声は出なかった。

君は立ち上がり、ゆっくり舞台のほうへ歩いてきた。客席と舞台の境目が消えていく。

「ずいぶん長い芝居だったね」

君が言った。

僕はうなずいた。

幕が下りる。拍手が聞こえる。けれど、僕たちはまだ舞台の上にいた。

銀河のどこかで、次の物語が始まろうとしていた。

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