ピエロも大変なんです。なにがって、気に入られる演技力です。
で、ひとりこっそりと練習するわけですね。
笑うピエロ、驚く案山子
サーチライトが舞うビルの雑踏。大事件を象徴する包囲網の中、あいつは空中で笑っていた。
地上では警官たちが走り回り、野次馬たちはスマートフォンを掲げている。赤色灯が壁面を染め、ヘリコプターの爆音が夜空を震わせていた。
その真ん中で、あいつは笑っている。
片手に小さな花束、もう片方の手には赤い風船。まるで空中に見えないブランコでもあるかのように、足をぶらぶらさせていた。
「降りてこい!」
誰かが叫んだ。
あいつは首をかしげ、風船をひとつ放した。
風船はサーチライトをくぐり抜け、摩天楼の隙間へ消えていった。
あいつの名前は、クラウン。つまり、ピエロだ。
もっとも、サーカスを逃げ出したわけでも、銀行強盗を企てたわけでもない。ただ、今夜の大舞台に、どうしても出演したかったらしい。
ピエロも大変なんです。
なにがって、気に入られる演技力です。
子どもに好かれ、恋人たちに愛され、時には人生に疲れた大人の胸まで、くすぐらなくてはならない。笑わせるのは簡単そうで、実はひどく難しい。自分が泣きたい夜にも、口元には笑いを描かなければならないのだから。
だから彼は、ひとりこっそりと練習するわけですね。
深夜の公園。街灯の下で、鏡に向かって笑顔をつくる。
にっこり。
にやり。
げらげら。
そして、何もかも諦めたような、静かな微笑み。
その練習を、いつも近くで見ている者がいた。
案山子である。
畑から運び出され、なぜか公園の片隅に立たされたまま、もう何年も人間の暮らしを眺めている。雀を追い払う仕事はとうに忘れたが、人間の不思議な振る舞いには、いまだに驚かされる。
今夜も、案山子はピエロの練習を眺めていた。
「どうだい、今の笑顔は?」
ピエロが尋ねた。
案山子は答えない。
「おかしいな。子どもたちは笑ってくれたんだが」
案山子は黙っている。
「じゃあ、これはどうだ!」
ピエロは目を見開き、舌を出し、頬を膨らませた。
その瞬間だった。
案山子が、飛び上がった。
いや、正確には、風に吹かれて全身を大きく揺らしたのである。しかし、ピエロには、案山子が驚いて跳ねたように見えた。
「やった!」
彼は両手を叩いた。
「とうとう、笑わせたぞ!」
その声に驚いた案山子は、さらに激しく揺れた。帽子が飛び、藁が散り、長いこと動かなかった身体が、まるで踊り出したかのようだった。
ピエロは腹を抱えて笑った。
今度は、演技ではなかった。
そして冒頭の夜へ戻る。
サーチライトが舞うビルの雑踏。包囲網の中心で、空中に浮かぶピエロ。地上の人々は、彼が何を企んでいるのかと固唾をのんで見守っていた。
けれど、彼には別の景色が見えていた。
街の片隅で、帽子を飛ばしながら驚いていた案山子。
あの晩以来、彼は笑顔の練習をやめた。
笑わせようとするのをやめたわけではない。ただ、誰かの予想を裏切る瞬間にこそ、笑いが生まれるのだと知ったのである。
やがて、ピエロは夜空に向かって深々とお辞儀をした。
包囲網が解かれ、サーチライトが消えていく。
翌朝、公園の案山子は、いつもと同じように立っていた。
ただ、顔に描かれた二つの黒い目のあいだに、昨夜までなかった小さな赤い丸がついていた。
誰が描いたのだろう。
それを見た雀が一羽、首をかしげた。
案山子は、今度こそ本当に驚いた。
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