子供がアイウエオを学習するおもちゃを取り上げてみたいようなそんな気がする。多分、コナキ爺や座敷わらしと連動するんだな。
あいうえお奇譚
風が窓から吹き込んでくる。
君は前髪をかきあげて、ぜいぜいしながらご本を読みあげていた。どうやら、ずいぶん古い本らしい。紙は黄ばんでいるし、ところどころ虫食いがある。おまけに、ひらがなの並びが妙なのだ。
「あ、い、う、え、お……」
君が一文字読むたびに、部屋の隅で何かが動く。
あ、で、天井から青い手が垂れた。
い、で、障子の向こうを小さな影が走った。
う、で、押し入れの襖が、ほんの少し開いた。
「ねえ、これって、いったい何の本なの?」
僕が尋ねても、君は返事をしない。額に汗を浮かべ、まるで誰かに追い立てられるように、次の文字を読みあげる。
「え、……お!」
その瞬間、畳の上に、ずしん、と何かが落ちてきた。
子泣き爺だった。
いや、正確にいえば、子泣き爺によく似た、ずいぶん小さな老人である。頭には赤い帽子をかぶり、手には木製のしゃもじを持っている。老人は僕を見上げると、にたりと笑った。
「おまえさん、あいうえおは習ったかい?」
「学校でね」
「それじゃ、まだまだだ」
老人はしゃもじで畳を叩いた。
すると、今度は座敷わらしが現れた。赤い着物の女の子で、両手に何やら玩具を抱えている。
見覚えがあった。
子供がアイウエオを学習する、あの電子玩具だ。ボタンを押せば「あ」、次を押せば「い」と、かわいらしい声で教えてくれる。
僕はなぜだか、それを取り上げてみたくなった。
取り上げて、裏蓋を開けてみたい。電池を抜いて、配線を調べてみたい。ひょっとしたら、この玩具は、子泣き爺や座敷わらしと連動しているのではないか。
そう考えた途端、座敷わらしが玩具を胸に抱きしめた。
「だめよ。まだ、最後まで教えていないんだから」
「何を?」
「あなたの名前」
君が本から顔を上げた。
窓から吹き込む風が、ページを一気にめくっていく。最後のページには、たった一行、墨でこう書かれていた。
――おまえが忘れた最初の言葉を、もう一度。
僕は自分の名前を言おうとした。
ところが、口から出てきたのは「あ」だった。
座敷わらしが、うれしそうに手を叩いた。
「そう、それでいいの」
子泣き爺は、しゃもじを肩に担いで立ち上がる。
「さて、次は『い』じゃ。人間というものは、二文字目からが難しい」
君はまた本を読みはじめた。
風は相変わらず窓から吹き込んでくる。
僕は畳の上に座り、アイウエオの玩具をじっと見つめていた。
ボタンがひとつ、ひとりでに光った。
そこには「わ」と書かれていた。
押してみようか。
いや、やめておこう。
その文字を押したら、きっと僕は、僕自身になってしまう。
それが、こんなにも恐ろしいことだとは知らなかった。
|